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話說天正九年(1581 AD)三月,信長在滅了武田後令柴田勝家、森長可及瀧川一益各從越中、信濃口上州三方包抄上杉。柴田勝家在此之前長期於越中一帶與上杉家激烈功防,於此時點已乘勢進逼魚津城下,但受守將吉江宗信等人的強烈抵抗形成圍城戰,一圍就是八十天。另方面森長可及瀧川一益分別在海津城及廄橋佈陣俟機要攻進上杉領,加上(天地人中好像沒怎麼提到)上杉家領內的新發田重家與織田勾結謀反,四方威脅與上杉軍的動向形成恐佈平衡,誰都不敢先越雷池一步。

剛坐穩首席家老的兼續為打破這個僵局,計畫讓春日山城的上杉本軍作勢西進幫助魚津城,其實是為了引森長可及瀧川一益出洞,等到他們深入上杉領後才發現,上杉本軍已經回防春日山,而上杉的邊防軍也起與本軍呼應,來個二面夾殺。問題是,從天神山回頭的上杉本軍,要魚津城內待援的同袍作何感想?此時只好麻煩始作俑者自己跑一趟了

彈盡援絕的吉江等人,看到御家老一拐一拐混進城中(過程不要問偶...)一定又驚又喜,可是他帶來的訊息,是要自己開城投降蝦米?

吉江宗信:なんと??!

兼続:春日山城に織田方の森長可が迫っております、上杉本軍は直(ただ)ちに天神山を引き払い、これを討ちまする。

安部仁介:では、我らは…

兼続:降伏するようにと。

竹俣慶綱:命懸けこの城を守るために戦い抜いてきたのだぞ!

中条景泰:なのに、今になって敵に降(くだ)れと言うのか?

 

策略放棄魚津城也許是保住守軍性命唯一的做法,上杉危急之秋,能多一個人活著回到春日山城也好。但站在守軍的立場,那之前在莊孝維嗎?投降開城就算真能留下一條命,卻要如何對與一萬五千織田軍戰鬥而犧牲的弟兄解釋?

兼続:これまでのご一同のお働きぶり、まことに見事なるばかり。しかし、今は越後を守るため、魚津はあきらめねばなりませぬ。なにとぞ、ご了見下さいませ。

吉江:ここで降伏しては、これまでの我らの戦いが無(む)に帰(き)す魚津城にこだわるなと言うが、それでは、一万五千の織田勢を向こうに回して、死力(しりょく)を尽くして来た我らの戦いは、一体、何のためだったのじゃ?

兼続:それは…

吉江:答えよ!

安部:我らは、織田に命乞(いのちご)いするために戦ってきたのではない、それが上杉のため、越後のためと信じるがゆえに…命を捨てて戦ってきたのだ!

兼続:安部殿…ご一同の気持ち、分かっております。ですが、ここは城を明け渡し、皆で越後に戻るのです。一人も多く、生きて帰っていただきたい。これは殿の御意(ぎょい)にございます。なにとぞ…

 

家老都搬出主命拼命拜託了,吉江仍決定要死守到底。兼續這時意氣用事了起來,你們不走我也不走!局勢一轉變成吉江他們在勸兼續趕快離開了:你要搞清楚你現在的身份是主公的左右手,你才要活著回去,活著,才能守護越後!!

吉江:もうよい、我らはここで死に花(しにばな)を飾る!

兼続:ならば…ならば私もここに残ります!

吉江兼続、今はあなたがどのような立場にいるのか、分かっておるのか。そなたは家老、景勝様を支え、越後を背負(せお)ってゆかねばならぬ男じゃ!

安部:ここで、情に流されてどうする。そなただけは生きて戻れ。生きて、上杉を守れ

 

最後安部仁介送兼續出城時向他告白(あれ?),我今天終於了解,認識你真是件好事(小時候覺得你礙手礙腳很煩),兼續!!有像你這樣的人可以託付後事,我就可以安心去了。主公就拜託你了!! 

安部:わしは、お前とめぐり会えてよかった。子供のころは泣き虫で頑固なやつだったが、今はっきりと分かった、兼続、お前は立派な上杉の侍じゃ!お前のような者に行く末(いくすえ)を託すことができるなら安心じゃ。

殿を頼んだぞ、与六!

兼続 仁介~~

但是,從天神山回防的上杉本軍只差一步沒能追上森長可,被他給逃掉了。

上杉軍は越後に攻め入った織田勢の森長可を迎え撃つべく、一路(いちろ)春日山へと引き返したのでございます。しかし、兼はあと少しのところで、織田勢を取り逃がしたのでございます。

 

事情發展至此兼續當然很難過,對老闆表示沒臉見他。他的好好老闆反過來幫他打氣說,我們能做的都做了,你就不要自責了吧。

兼続:あと半時(はんとき)早ければ、取り逃がすとは…まことに面目次第(めんぼくしだい)もございませぬ。

景勝:己を責めるでない。そちの悪い癖じゃ。

兼続:ですが、私は魚津の方々を見殺しにしたも同然…

景勝:やれるだけのことはやったのじゃ。これが今の我らの精一杯じゃ。

 

回到春日山屋敷的兼續,遇到結婚後第一次見面(?)的太座。太座準備的飯菜他吃不下去,馬上被(軟性)說教你現在倒下去是打算怎麼辦??現在,把飯吃下去就是你的工作。

兼続:お船殿、私は魚津の方々にひどい仕打ちを…

お船:あなた様が倒れたら、どうなさるおつもりですか。今は、召し上がるのも、お勤めのうち。

(武家女人的強悍,真不是蓋的…)

 

不久後六月三日,魚津落城,守將們沒戰死的就在天守自盡。據傳守城十二位將官,落城時剩下七位。因為死後屍首不知誰是誰亦為武門之恥,七位守將還留下了用鐵線在耳朵上穿刺名牌的壯烈傳說。其實之前心中有一個疑問,他們七位守將為什麼是「自殺」啊? 一般這種不都是奮勇殺敵後「成仁」嗎? 後來在外川淳的「直江兼続-戦国史上最強のナンバー2」有看到,據說是因為與勝家達成協議,留下城兵們的生路,將官們才切腹自盡的。

諷刺的是,信長已在前一日死於本能寺之變,要是勝家早一點知道或晚一點決定發動總攻擊,事情就不一樣了啊~

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