記得三成年輕時不是有一次一個人跑去春日山城找兼續「確認一些事情」?後來兼續邀三成跳どじょっこほい(泥鰍舞),被三成譏為呆瓜。兼續也不以為忤:我這德行怎麼看都是呆瓜,還是個徹徹底底的呆瓜哩~~
石田殿の言ったとおりではないか、この格好、どう見ても阿呆(あほう)じゃ。とことん、阿呆になるぞ。
後來看到這一段,在那一瞬間湧昇了對三成的無限婉惜,既然早就知道為什麼不好好改一改你那死脾氣啊?…
阿呆は阿呆だ。だが、お前は違う、阿呆にもなる心を持つ男だ。
それが、俺と違うところ。だから、お前は人に好かれ、俺は嫌われる。
呆瓜就是呆瓜。但直江大人你不是普通的呆瓜,你有一顆願意當呆瓜的心。這就是我倆不同之處,一個受歡迎,一個受排擠。
演到這裏,我差點以為三成要「確認的事情」就是確認兼續不是普通的呆瓜。
後來三成說,他跑這一趟是有收獲的:
おれは、民のために豊かな暮らしを願っていた。だが、それだけでは足りぬことが分かった。互いに思いやる心、ともに歩もうとする志(こころざし)、それが大事。
我一心要使萬民富裕,現在卻了解到光是這樣是不足的。能與萬民手牽手、心連心,才是重點。
那一集最末的旁白有我喜歡的字眼:
このときから、三成と兼續は互いに認め合う、無二の友となり、日本の国作りに向かって、その手を携(たずさ)えていく事になるのです。
時序進到關原前夕。佐和山城。兼續去找三成,二人談到了未來夢想。三成想渡海去看看世界有多大,這個夢想對心裏只有上杉家的兼續來說,恐怕有一點難以想像:
三成:俺は、海を旅して見たい、そして、遙かなるその向こうに何があるのが、この目で見届けたい。
兼續:大きな夢じゃのう。
三成:夢は、その位の方がよいのだ。
就算身為武士,也難以守護重要事物到永遠。心意相通的好友多麼可貴,今天終於體會到了~
もののふでありながら、わが身よりも大切なものを守れぬまま朽ち果てるところであった。友とはありがたきもの。生涯、この思いは忘れぬ。
三成以蟄居之身決定舉兵時,對前來支援的大小武將,深深致意:
それがしの如き、微力な者の声に良くぞ応え下された。
那個誰也信不過、誰也瞧不起的三成,在人生的盡頭,為了豐臣家的未來,決定放下成見,把自已的擔子交給(普通的呆瓜)福島正則。
三成:ここまでは、この国の行く末は危うい・・・そなたになら、それが任せられると、わしは信じておる。
福島:こうなってしまうまで、治部の真意を悟れなんだとは・・・
(ほんまに阿呆)
又要背叛他的小早川秀秋帶話,要兼續活下去,讓我等的正義流傳後世!!
三成:直江山城守にお伝え下さい、何どぞ生きて、我らの正義を後世に伝えよと!
兼續:三成、お主の志、しかと受け取ったぞ!わしは生きる。生きて、後世に伝えるぞ、我らの正義を・・・
(石田治部様、うちもしかと受け取ったわ~)
番外編:
三成使用的那個家紋:大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち),沒美感又難看得要命,但是涵意很好,非常三成。
万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる
人人為我、我為人人,則太平之世不遠矣。