第40集。關原戰後。進京的主從二人,來到家康面前,卻死不肯謝罪道歉(氣氛很僵-_-|||)。家康話鋒一轉,轉到了大好評的直江狀上,兼續又大膽回嘴了:寫這封信的用意只是挑明,面對師出無名來攻的敵人,我上杉將不惜與之一戰的態度而已。
勝手な言い分などではありませぬ。私は言われなき讒言によって、敵が攻め来るならば、正々堂々と迎え撃たんとの覚悟を示したまで。
方々に書状を送ったは、よこしまなものに天下が奪われようとしている、この時こそ、正義とは何かを世に示すため。
CC給天下名士,是要提醒大家,身處此群魔亂舞的年代,也不可忘記正義。
(在家康面前說他是よこしまなもの-邪魔歪道,我在電視機前都嚇出一身冷汗了哩)
不過,家康到底是天下人之器,沒有發飆,只是反唇相譏了一番:不愧是上杉,都到這份上了,還能昂首挺胸,了不起ㄋㄟ。
さすが上杉。この期に及んで、実に堂々たるもの。あっぱれじゃのう。
今となってあの書状、戦のきっかけを作っただけのようなもの、天下を巻き込み、あったら多くの者を死なせた戦をいう。民(たみ)を守ると言いながら、愛やら義とは、まこと恐ろしい方便じゃのう。
但是,現在回頭看看,那已經變成一封挑起天下戰端、殺人無數的書狀了吧。滿口愛呀義呀,原來都只是場面話啊。嘿嘿嘿~~
兼續:........
會後,眾人對上杉的評論也是兩極化的。德川方的榊原康政和另一位大人(不認得,應該是德川四天王其中一個,我就假設是伊井直政吧)吐上杉的槽:就一個勁兒的道歉不就得了?還回嘴?真是不見棺材不掉淚。
ひたすら謝っておればよいもの。言い返すなど、往生際(おうじょうぎわ)が悪い。
回到會津的兼續,對家臣們演說: 雖然我們輸光了所有,但是還有志氣,不過...只靠志氣是無法營生的...但我還是覺得我們沒有做錯!!在這進退維谷的當下,願意追隨主上的人,我們一個也不會離棄。雖說不上榮華富貴,但大家夥的生計,我兼續將全力守護。想離去也不要緊,我也將盡力協助安排後路。
皆、心して聞いてほしい。
上杉には、もはや財は残ってはおらぬ、あるのは皆心の中の義と愛の志のみじゃ。されと、残念ながら、義と愛だけでは、食うでは行けぬな。
戦にも負けた、上杉の失ったものは、あまりに大きい、いや・・・大きい過ぎる。
だが、やはりわしは思うのだ。我らの戦は、何ら間違いではなかったと・・・
進むも引くも、地獄となろう。殿を信じ、ついてきてくれるのであれば、誰一人召し放ちなどせぬ。楽をさせることはできぬが、ともに戦ったそなたたちの暮らしは、わしが精一杯守る。
無理にとは言わぬ、去りたくば申し出よう。何とか、身の振り方ができるだけの用意はしよう。
結果,家臣們統統不願離去。畢竟,能仕奉這個門風高謹的上杉家,應該是身為武士的最大榮耀了。
家臣A:石高などは二の次、三の次、上杉の家臣であることこそ宝でござる。
兼續:よう言ってくれた。皆で米沢へ出立じゃ!
(はいよ~)
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